気ままな独り言&ネットで拾った話です。よかったらみてやってください。(^^)
 

ミステリー紀行&自作解説について

 これは、金沢大学推理小説研究会のホームページに掲載されている「内田康夫の「自作解説」は見苦しいか?」についての私の意見です。
http://www4.freeweb.ne.jp/novel/mystery/tensei2.htm
ここから、以下若干引用させていただきます。

最初にお断りしておく。わたしは内田康夫の大ファンである。
(中略)
 しかし最近、彼は自分の作品について他人に解説をほとんど書かせず、自作解説と称して自分で解説を書いているのには、どうも納得がいかない。
 著作についている解説は、その性質上誉めることが前提となっている。とはいえ、評論であることに変わりはない。著者さえも気づかない作品の論点や魅力を引き出し、読者をサポートするのが、解説なのではないだろうか。解説はその性質上、ある程度の中立性も必要だ。第三者が書いてこそ、冷静で偏らない解説が生まれる。内田康夫の自作解説は、作者の自作への愛着が表われすぎて、度のすぎた自画自賛になっていると、いわざるを得ない。
(後略)

 はて!?果たしてそうなんでしょうか?

 私は内田先生の自作解説は、単なるファンに対するサービス精神の現れだと考えています。そういう観点から見ると「浅見光彦倶楽部」を設立してファンとの交流を図っていることも「浅見光彦のミステリー紀行」を発行していることも、その精神の延長にあると思っています。

 確かに、先生の自作解説を読むと作品に対する思い入れと、過度の自画自賛が鼻につくということがありますね。だけど、それはそれでいいじゃあないですか!(^0^)別に目くじらたてて糾弾?するほどのこともないように感じます。

 彼あるいは彼女が書くように「著者さえも気づかない作品の論点や魅力を引き出し、読者をサポートする」のが解説の役目なのでしょうか?その前提は、はなはだ疑問であります。

 本を読む楽しさというのは、元々個人の感性の問題であります。いわゆる評論家という人たちがどれほど訳知り顔で解説を書いていたとしても、そもそも、そんなものは別にどうでもいいことなんです。

日本人は、権威というものに弱いのでしょうか?読書というのは、あくまで個人的な楽しみであるはずです!そして、解説は次になにを読むかの指針としてのみ、その存在を許されています!

そういえば、なぜ、洋画にだけ解説がつくのでしょうね?もっとも、寅さんシリーズに解説者がしゃしゃり出てきたらブーイングの嵐ですよね!(^0^)

先生の自作解説は創作の過程での裏話があったりして、読んでいて楽しいですよ!

内田作品を構成する要素は、魅力的な登場人物、旅、歴史、伝説、文学と盛りだくさんですが、ミステリー紀行には、その作品の舞台についての詳細な説明があって旅行好きな人にはたまらないでしょうし、作品をより深く楽しむための助けとなりますね。

私は、内田作品を読むときに先生の人柄を思いながら読みます。だから自作解説もミステリー紀行も、ともに楽しんでいます。(^^)

1999.3.27記