江差殺人事件

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第1章その5

「西平さん、こんどの事件を、どう思いますか?」

「どう思うって?どういうこと。」

「はい、いくつかの謎がありますね。被害者の頭皮が剥落していたこと。あ、こんどの事件は他殺ですよね?それから、犯行現場が鴎島でなぜ瓶子岩に死体があったのか?他殺だとしたら動機はなにか?」

「うん、心証から言ったら間違いなく他殺だな。あの遺体の状況から考えたら、怨恨か見ようによっては拷問の末に殺されたとも考えられるね。で、致命傷はなんだったの?」

「それは解剖の結果を待たなければなりませんわ。検視の時点では、頭皮の剥落に生活反応はみられませんでした。ですから、脊椎の損傷か絞殺かどちらかですわね。頚部に索状痕もみられます。」

「その解剖の結果はいつ分かるの?」

「さあ、それはなんとも言えませんわ。札医大の法医でどれだけ仕事を抱えているか分かりませんし、なんとも言えません。」

「おいおい、そんなに何日も放置して大丈夫なの?」

「それは心配いりません。必要な措置は講じていますわ。そけい動脈から全身の血液を抜いて保存液を注入していますから何年たっても腐敗したりはしません。それに、検視で死後硬直だとか必要なことは調書にしてありますし、その程度のことは運び込まれた段階であちらさんでもやっていただいています。」

「そうか、しかし結果待ちというのも辛いな。身元が判明して遺族が引き取りに来たらどうするんだい。」

「そうですね。その心配はあります。それに遺体の損傷も隠さなければなりませんね。」

「損傷を隠すだって?」

「ええ、あの頭部の皮膚が剥落した状態で遺族に見せるわけにはいきませんわ。なんとかしなくっちゃね。私のヘアピースを加工して、なんとかやってみます。」

もちろん、警察で遺体を形成する費用が出るわけではない。しかし、著しく損傷した遺体は警官たちによってなんとか生前に近い状態まで直すことはどこでもやっていることだ。それはすべて善意以外のなにものでもない。

「ところで、科捜研の方にも遺体の髪の毛に付着していた松ヤニとか、被害者の爪に残っていた皮膚を送ったんだろう?」

「はい、そうです。鴎島でみつけた血痕も追加で送りました。たぶん、北大の方にDNA鑑定を依頼しているはずです。あそこの生化学講座にはDNA鑑定の権威である永井教授がいますから。でも、こちらもいつのものになるか分からない状態なんです。」萩原巡査部長は唇の端を歪めながらそう言った。

「とにかく、身元が判明しないことにはどうにもならないな。地取りでもなにも出ないし、困ったもんだ。」苦々しげに西平も言った。

「あらー、なに深刻な話、してるのよー!はい、お待ち。あわびの刺身よ。」おかみがにこやかに語りかけたので、一気に重苦しい雰囲気から解放された。

「ところで、おかみさん。赤ちゃんの面倒は誰がみてるの?」西平はそう尋ねた。

「ええ、おばあちゃんに頼んでるんだけど、今は姪っ子も来てくれてるのよ。あれっ、西平さんも知ってるでしょ。多香乃の娘の水衣那(ゆいな)ちゃんよ。」

「ああ、多香乃さんの子か!」

多香乃は、この「絵夢」をやっていたのだが、都会にあこがれて、隣町の男と駆け落ちしたのだった。そのときの亭主は榎木といって、おとなしいまじめな男だったのだが女房に逃げられたので、この町にはいられなくなってしまった。西平が江差署に赴任した直後のことだから、もう3年もたっている。

「そう、あのときは私も難儀したわ。榎木さんがかわいそうでかわいそうでね。なんであんなにいい人を捨てて出ていったんだろうって。それに、水衣那のこともあったし、だって、まだ高校生だったじゃない。」おかみは当時のことを思い出して、眉を曇らせている。

「で、榎木さんはその後どうしたの?」

「ええ、あんなことがあったらここにはいられないわ。なにせ狭い町ですもの。かわいそうに九州の方に雲隠れしてしまって、あれ以来会っていないわ。」

「そうだったの。確か榎木さんは絵を描く趣味があったんだよね。」

「はい、それはそれは水彩画はプロはだしだってもっぱらの評判でしたよ。でも、派手好きの多香乃はそんなところも嫌になったのよね。だって、榎木さんはおとなしいし、まじめだけど野心もないし、ただ好きな絵を描いていれば幸せって感じだったからね。そんなときにあの草間さんがちょっかい出したのよ。もっとも、多香乃だってまったくタイプの違う草間さんに惹かれたってこともあったと思うけど。でも、今多香乃は幸せみたいよ。ふたりでススキノに店だして、経済的にも困ってないようだしね。でも、榎木さんのことを考えるとね。」そこまで一気にしゃべってふーっとため息をついた。

「あのー、私そろそろ帰ります。あわびの刺身初めて食べたけどほとんにおすしかったわ。」萩原巡査部長はほんのり頬を染めてそう切り出した。

「おー、もうこんな時間か。俺もそろそろ帰るよ。明日は捜査会議が8時30分からあるからな。そうそうのんびりもしていられない。」まだ、10時を少し回ったところだが西平には待っている妻がいる。

ただでさえ、事件があるとほとんど帰るのは深夜になる。なにもないときぐらいは早く帰ってやらないと申し訳がたたない。

「よし、それでは今日のところはお開きにするか。じゃあ、かあさんまた来るよ。」

「はいはい、分かりました。今日はもうこれで店を閉めるわ。海紘も待ってるしね。西平さんもakkoさんもまた来てくださいね。今日はどうもありがとうございました。」

二人は連れだって店を後にした。

by しょう  1999.10.17 

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