江差殺人事件

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第4章その2

3人は圭介の家に向かった。出迎えた圭介の母・松江はハンカチで瞼を拭いながら「玲子さん、いらっしやい。今度のことはほんとになんと言ってお慰みを言ったらいいか分からないけど、まあ、どうぞゆっくりしていってくださいな。」と言った後、すぐさまお茶の支度に取りかかっている。

事務所兼住宅となっているこの家の居室はすべて2階にある。半地下の駐車場を備え、車2台が十分駐車できるほどの建坪なので、広さは十分にある。

20畳ほどのリビング、8畳の洋室が3室ある。圭介は亡くなった父親の部屋を使っていた。この部屋の壁1面すべてが収納式の書庫となっている。だからほかの部屋と比較すると格段に広く使えるようになっている。

圭介の父親は保険代理店を経営する傍ら、趣味で小説を書いていた。はじめて書いたのが自らの戦争体験を書いたものであったが、これを自費出版している。だから、この本棚には小説を書くために必要なありとあらゆる種類の蔵書があった。

圭介も本を読むのは嫌いではないので、たまにこの本棚から抜き出しては読んでいるのだが、圭介は松本清張、江戸川乱歩などの日本で一時代を成した古典ミステリーが好きであった。

「玲子ちゃん、僕はこれから江差に行くよ。これを見てごらん」圭介は細谷がノートに残したメッセージを玲子に示して説明した。「これはどう見ても『笹浪誠二に殺された』としか読めないだろう?だから、まずこの男を捜してみるつもりだ。いや、このことは江差署の西平刑事にも話しているからもう見つかっているかもしれないね。次に細谷のノートパソコンを見つけるよ。細谷のことだからパソコンになにか残しているかもしれないからね」

「私も一緒に行く」百合子がそう言うのを手で制して「いや、今回は僕ひとりで行くよ。場合によったら犯人と遭遇するかもしれないから危険だ。それに君は明日1日しか会社を休めないだろう。僕はある程度のことが分かるまで江差に滞在するつもりでいる」

「いや、一緒に行く。私休みを延長してもらうわ」百合子はなおも圭介に食い下がった。

「だめだ!それに君にはもっとだいじなことを頼みたい。それは玲子と一緒にいてらうことだ。分かってくれるね」その言葉を訊くと百合子は思わず玲子と視線が合ってしまった。百合子は気まずそうに「そうね、圭介の言うとおりだわ。私、玲子さんと一緒にいます」にっこりほほえむとそう言った。

「ありがとう。分かってもらえて嬉しいよ」

「圭介、百合子さん、ありがとう。私...なんて言っていいか」玲子は涙ぐみながらそう言った。

「なに言ってんだい、玲子。これは君のためでもあるけど僕自身の問題でもあるんだよ。親友の細谷があんな目にあってじっとしているなんてことは僕にはできない。絶対犯人をこの手で捕まえてやる」

「そうよ、圭介。できるだけのことをしてあげてちょうだい。事務所のことなら心配いらないわ。おとうさんが亡くなる前3か月もひとりで切り盛りしたんだから大丈夫よ。こうなったら事件が解決するまで帰ってこなくても結構ですから。」横から松江がそう言った。

損害保険事務所というのは、生命保険と違って個別に勧誘することがない。自動車任意保険の場合はどの社も条件が同じであるから今までの顧客が離れないようにしていれば新規の顧客は自然と増えてくる仕組みになっている。つまり、顧客が顧客を紹介してくれるのだ。幸いにして圭介の父親が札幌市内の主な官庁、会社を開拓してくれたおかげで圭介の仕事はそれらの職場に定期的に顔つなぎをするだけでよかった。

だから、圭介は余暇には探偵のまねごともできるのだった。以前努めていた保険会社の札幌支社長が圭介が入社したときの直接の上司ということもあってたまに保険調査を委嘱されることもあった。

「圭介さん、これからすぐに行くの?」百合子が訊いた。

「あ、いや、さっきは気負ってそう言ったけど明日にする。いささか疲れたしね」圭介は苦笑いしながらそう答えた。「第一発見者の須藤とかいう人にも会って話を聞きたいし、殺人現場の鴎島周辺も調べてみたいし、今晩ゆっくり考えてみるよ」

「そうね、それがいいわね。でも無理だけはしないでね」百合子は圭介の横顔をのぞき込みながら心配そうにそう言った。

「圭介、ありがとう。恩に着るわ」玲子はすまなそうにそう言った。

「だから、水くさいんだよ。玲子。これは僕の問題でもあると言っただろう」圭介はいかにも冗談っぽく、しかし強くそう言った。

「いや、それはそうなんだけど...ありがとう」玲子は明るく快活な性格なのだが、今回のことでよほど神経をすり減らしたのだろう。そんな玲子を見るにつけ圭介はこの事態を厳粛に受け止めなければならないことをイヤと言うほど思い知らされていたのである。

by しょう  1999.11. 8 

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