江差殺人事件

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第3章その6

その頃、西平は上ノ国の近藤商会を訪れていた。携帯の番号から持ち主を割り出し、さらに自宅の電話を調べ電話し、江差署に通報のあった娘の勤め先を母親から聞き出していた。

もちろん、電話番号が通知されているのであるからこちらから電話すれば簡単なのであるが、西平は敢えてその方法を取らなかったのである。

引き戸を開けて、「すみません。舛谷英子さんはいらっしゃいますか?」西平がそう言うとほぼ同時に「舛谷は私ですが...あのーどちら様でしょうか?」そう言いながらやや大柄な娘がこちらに会釈した。

「あ、すみません。ちょっとお話を伺いたいのですが?」

「はい、どのようなことでしょうか?」舛谷英子はやや首を傾げながら西平のそばに来て言った。なかなか可愛い娘だなと、西平は思った。髪は肩ほどにかかっていて、色は透けるように白く、顔にはニキビが少しあるがそれがいかにも若く感じられまぶしいほど健康的な娘であった。

西平は胸のポケットから黒い警察手帳を示しながら「今、お話を伺ってよろしいでしょうか?」と丁寧に聞いた。娘の顔は一瞬のうちに朱に染まったように真っ赤になったが、すぐに声を潜めて「まもなく勤務時間が終わります。『文殊』の駐車場で待っていていただけないでしょうか?」と半ば哀願するように眉をひそめてそう言った。若いのにしっかりした娘である。瞬時のうちにすべての事情を察知していた。

「あ、分かりました。ではお待ちしています。」西平とKIYO巡査部長は会釈してその場を去った。

「彼女どこまで知っているのでしょうね?」KIYO巡査部長は西平にそう問いかけた。

「いや、それは何とも言えないがちょうど目撃現場で話を聞けるのは好都合だな。」西平はそう答えながら、今日はついてるな。そう思っていた。瓶子岩に身元不明の変死体があがってからまだ2日しかたっていない。それにしては捜査が急速に進展している。思わず頬が緩んでいた。

待ち合わせ場所の「文殊」駐車場で待っていると、ほどなく真っ赤な軽自動車で彼女が現れた。

「ここではなんですから、レストランの方でお話を伺いましょうか?」西平は舛谷英子に優しくそう言ったのだが、英子は大きく頭を振りながら「いえ、ここでお願いします。だって電話でお話した以上のことはなにもありません。さっき、そのことを言おうとしたのですが、所長のことが気になって言えなかっただけなんです」

「えっ、所長と言いますと?」

「はい、さっきドアを開けたときは衝立で見えなかったかもしれませんが、近藤商会上ノ国出張所長です。ほんとに頭に来るんです。私のやることの一挙手一投足まで盗み見てて、ほんとにうるさいんですよ。私、今の会社やめようといつも思っています。だからあの所長に弱みを見せるわけにはいかないんです!」英子はそう言って唇を噛んだ。さきほど感じたよりは気性の激しい娘のようだ。

「ああ、そうですか。分かりました。では、さきほど電話で伺ったことを再確認させていただきます。あなたは7月30日の午後4時頃、殺された細谷さんをここで見かけたんですね。そして、細谷さんとランクルに乗った大男を目撃してる?二人は親しげでしたか?あ、その大男に心当たりはありませんか?確か上ノ国の人だと思う。というようなことを言っておられましたね。」西平はさきほど江差署にかかってきた電話の内容を思い出しながら英子に訪ねた。

「あのー、その人が殺人犯になるんですか?」英子が恐る恐るそう西平に聞いた。

「えっ、まさか!そんなことはありませんよ。それはこれからの捜査によって明らかになることです。ですから、もしその男のことを知っているなら正直に話していただけないでしょうか?」

「あー、よかった!」英子はほっとしたように笑顔を見せた。笑うと両頬にえくぼができて可愛いなと西平は率直に思った、あー、若い娘っていいな。

「あのー、あの人は笹浪さんちの誠二さんでした。ほらっ、この道を少し行ったところに『笹浪家』がありますでしょ?そこの次男坊です。もっともお兄さんとは母親は違うと聞いていますけど」

   sasanami.jpg (24800 バイト) 笹浪家

笹浪家は上ノ国で代々鰊漁などを営んできた旧家の一つで、初代は享保年間に能登国笹浪村から松前福山に渡ったとされ、後、上ノ国に移り住んだ。代々久右衛門を襲名している。
旧笹浪家住宅は、19世紀の前期に五代目久右衛門が建てたといわれるもので、笹浪家の古文書には安政4年(1857)に家の土台替え、翌年には屋根の葺替えを行ったという記録が残っている。
築後約150年、平成2年笹浪家から町に寄贈され、平成4年1月国の重要文化財に指定された。
北海道の現存民家では最古に属し、置き石屋根が往時のたたずまいをしのばせている。

「おお、そうですか!ありがとう。また、改めてお話を聞くことがありますが、よろしくお願いします。あ、なにも怖れることはありませんよ。今日のところはこれでお引き取りいただいてかまいません」西平が娘にそう言うとペコンと頭をさげて娘は立ち去った。

娘を見送った後、西平は恐い顔をしながらKIYO巡査部長に「よし、行くぞ!」と声をかけた。西平は北海道警察に入る前は民間商社で営業をしていただけあって普段は柔和な表情を変えることはない。しかし、いざというときはやはり刑事の顔になる。

笹浪家は平成4年1月21日に文部省が国の重要文化財に指定された。したずって今は誰も住んでいないが、当主の笹浪西安、笹浪誠二はその笹浪家の向かいに居を構えていた。

最初に、笹浪誠二宅を訪問したのだが不在であったので隣の笹浪西安宅を訪ねた。応対したのは笹浪西安の妻・こばであった。「誠二さん、いませんでしたか?そう言えばこの2、3日見ないわね。ちょっと待っててくださいね」こばは奥に引っ込むと直に男が現れて、笹浪西安ですと名乗った後「なにかありましたかな?誠二がまたなにかしでかしたのでしょうか?」そう言った。上背はけっこうあるが痩せていてジーンズをはいていたりして見た目は若く見える。

「あ、いやそういうことではないのですが、誠二さんがどこに行かれたかご存じないでしょうか?}

「うーん、あいつも気まぐれだからな。またどこぞにふらっと行ったのかもしれない。だけど、どうして警察の方がお見えになったのかな?」西安はあくまでも悠然と構えている。さすが旧家の主だなと西平は思った。

「あ、いやもしここに戻られるようでしたら、私に連絡してください」西平は笹浪西安に名刺を差し出してそう言うと、その場を去った。

警察無線で氷室圭介から電話があったことを知らされると、西平は直ちに氷室の携帯に電話した。

「もしもし、氷室さんですか!西平です」

「ああ、西平刑事さん。実は細谷のダイイング・メッセージの謎が解けました。詳しい説明は後でするとして、こう書いてありました。『笹浪誠二に殺された』です」

「なにっ!笹浪誠二だって!」西平は驚愕し、思わず怒鳴るような口調になってしまった。

「あ、警部は『笹浪誠二』という人物をご存じなんですね。それではこの解釈はほぼ間違いないと思います。事件の真相に一歩近づいたのではないでしょうか?」それから氷室は西平に細谷のメッセージをどのような法則により解き明かしたのかを説明した。西平はただただ頷くばかりである。

「いやー、氷室さん!凄いですね。」西平は感嘆してそう答えたが、いましがたの笹浪家を訪問したことについては一切言及しなかった。民間人の協力なしには情報を得ることはできないというのは分かっていても、まだそのことを明かす段階にはない。

「では氷室さん、明日千歳空港でお会いしましょう。では」西平はそう言って電話を切った。西平の胸に去来したのはこれだけのことで逮捕状を請求できるだろうか?との思いであった。いずれにしても署に戻って上司の判断を仰がなければならない。

by しょう  1999.11. 5 

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