江差殺人事件

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第3章その4

江差署を出たのが夕方4時であった。圭介は百合子に言った「ところで昼飯食べていなかったよね?」途中食事も取らずに江差署に直行してから、4時間もいたことになる。

「うーん、そうなんだけどあまり食欲はないわ。」

「でも、なにか食べないと体がもたないよ。そうだ最近レストランができたらしいよ。そこに行ってみようか。少し早いが夕食にしよう」そう言うと圭介はボルボを発進させた。

そのレストランは「津花館」といい、なかなか洒落た造りである。ここらあたりは昔「切石坂」といわれた場所である。その名が示すとおり急勾配の坂だったが今では道路拡幅のため緩やかなカーブとなっている。あまり勾配がきついと国からの補助金が受けられないのでやむを得ないと言える。しかし、計画当初は地元民からずいぶん反対の声があがったと聞いている。

ふたりが案内されたのは窓側の席で、そこから鴎島が一望できた。普段なら一番いい席のはずだが細谷が殺害された場所が間近に見えると思うと気が重い。とりあえずあまり食欲がないのでカレーライスを注文した。

「ねえ、圭介。細谷さんは小説を書いていたんでしょう?」

「う、うーん。そうだよ。どうかした?」

「いえね、これをさっきから眺めているんだけど・・・小説を書いていた割には稚拙な文章だと思うの」さきほど江差署で西平警部補から見せてもらった細谷のノートのコピーを見ながら百合子は言った。

「あ、それ持って来ちゃったの?返さないとまずいんじゃないか?」

「なにいってんの。たかがコピーじゃない。コピーに証拠能力はないわ。それに刑事さんたちもなにも言っていなかったし、いいんじゃない。それよりこれじっくり見てくれる」百合子は見かけの優しさからは想像できないほどきつい性格である。

1  歴史と文化とロマンの町江差...でもここは違うのだろうか?
2  笹竜胆の紋はサハリンにはあったがここにはないようだ。
3  義経伝説はやはり寿都、平取が本命か?
4  大陸に渡る前にここにも来ていたはずなんだが...残念ながら痕跡が...
5  ジンギスカン伝説は所詮妄想の産物なのだろうか?
6  浪に呑まれて開陽丸はあえなく江差沖に沈んでしまったのも今は昔のことである。
7  あの最新式の軍艦が江差の海の藻屑と消えたとき...
8  誠の旗印を掲げて戦った元新撰組副長の土方と榎本武揚はなにを思ったのか。
9  二人の胸の内を思うと叫びたいような衝動にかられる。
10 につかわしくない、死に様か?いやそうではない...。
11 土方は死ぬつもりでこの蝦夷地に渡ってきたのだ...
12 殺されてよかったのかもしれない。
13 されど...やはり悔いは残る。
14 榎本はその後新政府において重要な地位を得たのだが,,,
15 れきしに埋没したのは土方だけだったのだろうか。
16 ただ、今は亡き土方の冥福を祈るのみ。

(筆者注)便宜上行番号を入れてある。

「1行目は『歴史』だけど15行目は『れきし』とひらがなになっているわ。6行目の『浪』もふつうは『波』じゃあないかしら?それとね、なんだか全体的におかしいのよねこの文章は?」百合子は首をひねりながらそう言った。

「うん、そう言われてみるとへんだね。だけど、これは細谷が小説の材料にするためのメモなんじゃないか?だったら文章的におかしくてもいいんだよね。本人さえ分かればいいわけだから。『笹竜胆』は義経の紋だし、元々北海道には義経伝説が多いし。そうそう義経が大陸に渡ってジンギスカンになったという伝説も聞いたことがある。幕末に榎本武揚は幕府の軍艦を乗っ取って函館、松前を制圧したというのも、新撰組の副長・土方歳三が同行したというのも史実だぜ。現に函館には『土方歳三の血』というワインもあるし」圭介はそこまで言って百合子に尋ねた。「なんかほかにも気になることがあるのかい?」

「ええ、10行目の『につかわしくない』というのと13行目の『されど』というのが、なんか取って付けたようで気に入らないわ。圭介の言うように単なるメモだったら、こんなふうに無理矢理文章にする必然性はないわよ。これってひょっとしたら細谷さんのメッセージというか...あっ、ひょっとしてダイイング・メッセージじゃないかしら?」

「ダイイング・メッセージ・・・うーん、そうかな?だけど今まさに殺されようとしているときに、そんな面倒なことをするだろうか?」

「いえ、きっとそうよ。だとしたらなにか法則があるはずだわ」百合子は譲らない構えである。圭介はこんなときに逆らってはろくなことにならないことを長年のつきあいで十分承知しているから、一緒に考えるふりをしたがさっぱり分からない。そうこうしているうちにカレーライスがテープルに運ばれてきたのを機に話をやめた。

食事を終え、コーヒーが運ばれるのとほぼ同時に携帯が鳴った。ディスプレィは玲子からの電話であることを示している。そういえば前の電話もコーヒーを飲もうとしたときにかかってきたな。などと思いながら圭介は電話に出た。

「もしもし、圭介です。航空券取れたかい?もうそろそろ連絡いれようと思っていたからちょうどよかった」

「ええ、今、警察の方から先に連絡があってね。ごめんなさい、遅くなってしまって。今日の便は満席でした。明日の朝にそちらに行きます。えーっと羽田発10時ちょうどです。」

「はい、了解!千歳に迎えに行くね。」

「私、北海道育ちだけどここ10年以上行ってないから不安だったの。だって千歳空港も新しくなったって聞いたし、医大のどこに行けばいいかも分からなかったから。警察の人も千歳に来てくれるって言ってたんだけど圭介が来てくれたらなにかと心強いわ。ありがとう。」玲子は電話の向こうで声を詰まらせていた。無理もないどれほど不安だろうとその心中は察するにあまりある。

「なに言ってんだよ。水くさいじゃないか!僕にできることならなんでもするよ。あ、僕の家に泊まるといいよ」

「ありがとう。助かるわ。では明日よろしくお願いします」玲子はそう言うと電話を切った。

「玲子のやつずいぶんまいっているようだな」圭介は百合子にそう言った。

「そうね、でも、私だったらもっと取り乱しているかもしれないわね」性格がきついほどもろいというのがあるとしたら百合子はまさにそういう女であった。

by しょう  1999.11. 1 

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