江差殺人事件

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第3章その1

「西平係長、埼玉県警から電話であります。」部下のKIYO巡査部長が電話の受話器を差し出しながら言った。

ようやく被害者の遺族に連絡がとれたか。西平は呼吸を整えてからおもむろに電話に出た。

「もしもし、西平です。」

「ああ、西平警部補ですね。私は埼玉県警の岡明です。早速ですが細谷文彦の奥さんと連絡がつきました。いやー、今回は難儀しましたよ。連絡を受けた住居には誰もいないんですよ。近所で聞き込みしたら母親は持病の心臓疾患で入院しているし、奥さんは妊娠しているとかで東京町田の実家の方に行っているということでした。」

「そうでしたか、それはお手数をかけました。で、奥さんには今回のことどのように話されましたか。」

「ええ、北海道江差町で旦那さんの乗っていたレンタカーが放置されていたこと。旦那さんが何者かに殺害されたらしい。ついては遺体を確認してほしいと言いました。どうも、いつやってもいやな役回りですな。しかも相手は身重だし気をつかいましたよ。一瞬絶句した後、目を宙にさまよわせましてね。後は30分ばかり泣いていました。私はただそれを見守っていただけなんです。」

「そうですか、それはたいへんご苦労をおかけしました。ありがとうございました。」西平は電話口で深々と頭をさげた。

「奥さんも今は落ち着きを取り戻しているようです。で、遺体の確認はどこでしますか。」

「ええ、遺体は司法解剖のために札幌医大に搬入しています。ですから、奥さんがこちらに来られる日程がはっきりしたら、こちらからも2人ほど立会させますが。」

「その旨、奥さんに伝えます。はっきりした時間が分かった段階で連絡します。では。」岡明はそう言うと電話を切った。

「課長、被害者の遺族とコンタクトが取れた旨、埼玉県警から連絡がはいりました。来道する日程については、再度連絡するということであります。」

「そうか、それはよかった。遺体確認の立会は萩原巡査部長とKIYO巡査部長に行ってもらうことにする。君はこちらで引き続き捜査に当たってくれたまえ。」秤谷刑事課長は西平にそう指示すると、署長、副署長に報告に行った。

その頃、圭介と百合子は八雲付近を走っていた。八雲から熊石までは「雲石(うんせき)峠を越えて、後1時間30分ほどで着く。

「ここまで来たらもうすぐだね。少し休憩でもしていくかい。」圭介は百合子にそう聞いた。ここで休憩しなければ後は江差までレストラン、喫茶店の類はまったくない。

「そうね、そうしましょうか。でも、お店あるの?」

「ああ、市街地に入る手前にレストランがあるよ。そこの信号を曲がったところだよ。」

確かに道を曲がったところに「レストラン八雲」があった。道路をはさんで向かいは牧場であった。20頭ほどの牛が見えた。なんとものんびりした風情である。

店に入った途端、圭介の携帯が鳴った。

「あ、コーヒーをホットで君はどうする。」

「私はアイスコーヒーにするわ。」

圭介はどんな暑いときでもコーヒーはホットと決めている。百合子には言っていないがアイスコーヒーなんて名ばかりであんなものはコーヒーではない。アイスコーヒーを飲むくらいならトマトジュースでも飲んだ方がどれほど健康にいいだろう。

「ねえ、細谷さん...」と百合子が言いかけたとき、圭介の携帯電話が鳴った。

「ほれ、噂をすればなんとかで玲子からだよ。細谷から連絡が入ったのかな?」携帯の液晶には「中里玲子」と表示されていた。これは玲子の実家からの電話である。

「もしもし、あ、今江差に向かっているとこ。細谷から連絡があったのかい?」

「もしもし、玲子どうした?」電波の状態が悪いのかな?圭介が痺れを切らした頃、やっと電話の向こうで玲子がつぶやいた。

「あのね、埼玉県警の刑事さんが来てね。」

「えっ、なに埼玉県警!?なにそれ?」

「文彦さんが江差で殺された...」玲子はそこまで言うのが精一杯だった。その後電話の向こうから聞こえてくるのは玲子の嗚咽のみであった。

圭介も呆然としていた。「細谷が殺されただって!」その言葉で百合子が心配そうに圭介の顔をのぞき込んでいる。

僅か1、2分の沈黙が永遠にも感じられた。

それでも、圭介は気を取り直して玲子に言った。

「もしもし、玲子。よく聞くんだよ。僕は予定通り江差に向かうよ。警察に行けば詳しいことを教えてくれるだろう。だけど、遺体は確認されているのかい?」

「ううん、遺体は札幌の大学病院だって...私これから行く。」玲子は途切れ途切れにそう言った。こんな玲子を圭介は知らない。彼女はどんなときでも明るく振る舞う女性である。

「よし分かった。江差で情報を仕入れたら、僕も札幌に戻ることにする。また連絡してくれるね?」

「うん、ありがとう。圭介。札幌に着いたら電話するわ。」電話はそこで切れた。

「なにがどうしたというんだ!」思わず圭介は叫んだ。この冷静沈着な男がこれほど取り乱したのを百合子は知らない。まっすぐ天井を睨んでいるその顔は怖いほどである。

「ねえ、圭介。細谷さんが殺されたって聞こえたけどほんとのこと。」百合子が尋ねた。

「あ、ああ、玲子はそう言っていた。これから遺体確認のために札幌に向かうそうだ。だけど人違いの可能性だってまだ捨てきれないよ。とりあえず、これから江差に行って警察から情報を得ることにする。で、その後すぐに札幌に戻ろう。」

テーブルに置かれたコーヒーを一口だけ飲むと圭介たちは店を後にした。ウェートレスが怪訝そうにふたりの後ろ姿をいつまでも見送っていた。

by しょう  1999.10.24 

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