江差殺人事件

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第2章その6

「もしもし、教子か。俺だ。」西平はデジカメのことを聞くために早速妻に電話をした。

「あら、ヨシくん?どうしたの勤務中に電話してくるなんて珍しいわね。」

「おいおい、そのヨシくんというのはやめてくれよ!」言ってからしまったと思い、西平は辺りを見回した。幸い誰も気がつかなかったようだ。普段家にいるときにそう呼ばれることに関してはなんとも思わないのだが仕事中にヨシくんなどと呼ばれては困る。西平の首筋からは汗が噴き出していた。鏡を見たら顔も真っ赤になっているのだろう。

「あらー、いいじゃないの!電話なんだからー。誰も聞いてやしないわよ。」教子は少し不機嫌そうにそう言った。続けて、「ねえ、なんの用事なの?」

「ああ、君はデジカメ持っていたよね?で、そのことで至急確認したいことがあってね。メーカー名と機種名を教えてくれないか?」

「ああ、はい。メーカーはFUJIFILMよ。機種はえーっと、ちょっと待ってね。FINPIX500って書いてるわ。」

「おお、同じだ!」レンタカーで見つかったデジカメもFUJIFILM製であった。機種も一致する。

「で、そのカメラはメモリーカードを使うんだろう?」

「なに言ってるのよおー、一緒に買いに行って、このカメラを選んだのはあなたよ。通信ケーブルを使うのは面倒だからこれにしたらって言ったじゃない。もう忘れたの?」教子にそう言われて西平は思いだした。そうだった。去年の暮れに一緒に買いに行ったのだった。ただ、西平はメカにはとんと弱いので、店員の勧めるままにそう言ったに過ぎない。西平は、どうも買い物は苦手であった。教子が迷っているようなので早く帰りたい一心でほんのちょっと後押ししたに過ぎない。

「あ、そうだったね。ごめん。ところでさ、署のパソコンでそのメモリーカードを読み出すにはどうしたらいいんだろう。事件がらみで必要なことなんだけど、なんとかならないだろうか?」

「あら、簡単よ。スマート・メディアのドライバを組み込めばいいのよ。そうしたらFDDから読めるわ。」

「それはありがたい。すまないがそのドライバと必要なもの一式持って、署に来てもらえないだろうか?」

「はい、分かったわあなた。これからすぐに伺います。」

「ありがとう。じゃあよろしく。」

教子は、それからほんの10分ほどで署に顔をだした。江差警察署の官舎は茂尻町にあった。繁華街の新地を少し下ったところにある。

教子は、まっすぐ刑事課に来た。すでにほとんどの者は顔見知りである。目があった署員にはにこやかに笑顔で答えていた。

「はい、西平教子、ただいま出頭しました。」西平の前で教子はおどけてそう言った。

「おお、ありがとう。じゃ早速だけど、このパソコンで写真を見ることができるように設定してくれないか?」

つい10年前は、パソコンはおろかワープロでさえ、署に1台か2台しかなかったのだが、今や係に最低1台はある。若い署員は私物のノートパソコンを持ち込んで仕事に使っている。まさに隔世の感がある。

教子は、手慣れた手つきでフロッピーを挿入するとなにやら操作をしている。

「はい、これで再起動したらオーケーよ。それではデジカメを貸してくださいな。」

教子は、デジカメから3センチ×4センチほどの薄いカードを引き抜くと、持参したフロッピー状のものにそれを挿入した。

「このパソコンには画像閲覧用のソフトはインストールされているのかしら?WINDOWSはビッマップが標準なのよね。でも、これはJPG形式なの。」

「おいおい、俺にそんなこと言っても分からないないよ。で、その画像閲覧用のソフトがインストールされていないと写真を見ることができないのかい?」西平はそう聞くのが精一杯であった。実際、教子の言うことの半分も理解してはいなかった。

「あ、大丈夫よ。じゃあ、ブラウザに関連づけするわね。」教子はなにやらやっていたが、やがて右手のひとさし指が動いたと思うと、パソコンの画面に鴎島の写真が映し出された。写真の下の方に日付が入っている。7月31日となっていた。教子の指先が動くたびに写真が画面に映し出され、いずれの写真の日付は7月31日であった。写真そのものはなんの変哲もない風景写真だった。江差の観光名所である鴎島、開陽丸、法華寺、横山家、中村家、追分会館などの写真である。後半は上ノ国の写真であった。北海道文化財の笹波家、隣の神社の写真もある。夷王山夜明けの塔の後、最後に「文殊」の写真があった。

やはりなあ、この細谷という男は『文殊』の写真を撮った後、何者かに拉致され、そして殺されたのだ。しかし、誰ががいったいなんのために...

「はい、これでお終い。写真はハードディスクに保存しておくわね。お役に立てたかしら?旦那様」教子はまたしてもおどけてそう言った。不思議な女だと西平は思う。十分知的で美人でもあるのだが、冷たいところは微塵もない。教子と一緒にいるとほのぼのと暖かくなるのだ。こんな素晴らしい伴侶に巡り会えたことを西平はいつも感謝し、幸せを噛みしめている。もっともそんなことを態度で示すことはない。

「ああ、ありがとう。もう帰っていいよ。」西平はそう言った。

「あっらー、失礼しちゃうわ!せっかく協力したのにもうお役ご免ってわけね。」教子は拗ねたふりをして西平の方に顔をむけたが目は笑っていた。その言葉で周りの人間がいっせいに笑い出した。

西平はまたしても顔を紅潮させた。

「分かった分かった。はい、ありがとう!さあ帰った帰った。」西平は照れ隠しで教子の背中を押してドアの方に押しやった。

「ねえ、今日はなるべく早く帰ってきてね。」ドアのところで教子は西平にちいさな声で言った。

「ああ、分かった。今日はどうもありがとう。」西平は教子をそのドアのところで見送った。

バカな。これだけの事件が起きていながら早く帰って来いだと。西平はけっして出世など望んではいない。しかし、殺された人の遺族の悲しみを思うとき、できる限りのことはしてやらなくてはならない。それが警官として、いや事件に携わった一人の人間として最低限の責務である。西平は心の中でそうつぶやいていた。

by しょう  1999.10.23 

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