江差殺人事件

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第2章その1

「はい、氷室保険事務所です。」

「もしもし、圭介くん!玲子です。」

「おお、どうも久しぶり!細谷はもう帰った?」

「それがね、帰ってないの。あれから連絡もないのよ!圭介くん、なにか聞いてないかと思ってそれで電話したの。」

「ふーん、それはおかしいな。細谷と31日に別れたときには江差に行くって言っていたけど。」

「ええ、文彦さんが連絡くれたからそれは私も知ってる。これからレンタカー借りて江差に行くってね。でも、今日はもう2日よ!毎日必ず電話くれたのに全然音沙汰がないもんだから、心配で心配でいてもたってもいられないの。」

「そっかー、あいつも罪作りなやつだな。」

「でね、私これから江差に行こうと思っているのよ。」

「えーっ、それはやめといた方がいいよ。だって、玲子、おめでたじゃないか!細谷から聞いたよ。大事なときに無理しちゃいけないよ。それにどこに泊まっているのかも分からないんだろう?」

「ええ、それはそうなんだけど、でも、もう5か月だから、胎盤形成も終わっているし安定期に入っているわ。それに、今回の旅行には私も同行することになっていたの。それなのに文彦さんたら、車で移動するからやめといた方がいいって言うもんだから。だから行く。」電話の向こうで玲子が拗ねているのが圭介には分かった。昔から言い出したら人の言うことをきかない性格だということは分かっている。でも、今ここで無理させるわけにはいかないと圭介は思った。

「分かった。分かった。僕が江差に行くよ!」

「わー、ありがとう!さすが圭介くんね!このお礼は必ずするわ。よろしくお願いしまーす。でも、なにかあったらすぐに電話してね。サンキュー」玲子はそう言うとがちゃんと電話を切った。

「ああ、相変わらずだな。玲子のやつ。」圭介は受話器を耳から遠ざけながら受話器をそっと戻した。

「ねえ、誰からの電話?」傍らの百合子が圭介に尋ねた。

百合子は圭介の婚約者である。札幌駅前にある建築設計事務所で1級建築士として勤めている。圭介は東京で大手の損害保険事務所に勤めていたが、札幌で損害保険事務所を経営していた父親が3年前に病死したため、後を継ぐために札幌に舞い戻ったのである。ちょうどその頃、すすきのでチンピラにからまれている百合子を助けたのが縁で交際をはじめた。

「うん、細谷のかみさんから。」

「細谷さんって、この間久しぶりにあったという大学時代のお友達のこと。」

「そう、玲子も同期生さ。」

「あら、そうだったの。」

「そうそう、僕らは言ってみればグループ交際してたのさ。」圭介はそう言って笑った。

「あら、それじゃあ、あなたのお相手は誰?」

「あ、いや3人だけのつきあいさ。僕は玲子には色気を感じなかった。細谷だってそうだったぜ。玲子って、なんていうか中性というか、女性を感じさせなかったんだ。」

「ふーん、そうなの?でも、細谷さんと一緒になったんでしょう?」

「そうそう、大学を卒業した後、僕は仕事に忙殺されてなかなか会うことがなかったんだけど、その間もふたりはつきあっていたらしいよ。で、一昨年めでたく遅すぎた春に終止符をうったというわけさ。で、今は妊娠5か月だって。」圭介はそう言ってから笑った。

「あら、それはひどいわ。」

「えっ、なにが!?妊娠したらダメなの?」

「うーん、違うわよ。妊娠している奥さんを一人おいて旅行するなんて許せないわ。」

「あー、そういう意味ね。そうだよなー、でも、なんかわけがあったみたいだよ。君も知ってるだろうススキノのアール・ボックス。30日に細谷と飲みにいったんだけど、マスターが上ノ国出身と聞いたら、なにやら真剣に話してたんだよね。聞くとはなしに聞いていたら義経の秘宝がどうしたとか言ってたな。ちょっと気にはなっていたのだけど、僕もけっこう飲んでいたからそのまま聞き流してしまったのさ。」

「ふーん、北海道の義経伝説か?おもしろそうだね。ところで、さっきの話だけど圭介、江差に行くの?まさか私をおいてくわけじゃないでしょうね?」

「えー、いや君は仕事があるだろう?無理だよ。」

「あら、なに言ってんだか!あなただって仕事があるでしょうが。」百合子は圭介に食ってかかった。

「いや、留守番はおふくろに頼んで少し早いけど夏休みを取るよ。」

「私だって少し早い夏休みを取るわ。私の手がけた仕事は全部着工してるし大丈夫よ。施工管理の方は誰かにお願いできるし、ねえ、お願い。」百合子は少し媚びるように圭介の目をのぞき込むように迫った。

「ストーップ!オーケー分かった。まったくしょうがないやつだな。」圭介は苦笑いしながらもまんざらではないというふうに首をふった。

百合子はまったく魅力的な女性だ。蠱惑的な鳶色の瞳、緑薫る長い黒髪を後ろで束ねている。しかも理知的である。男だったら誰しも振り向かざるを得ないだろう。

「ねえ、明日は何時に出発するの?私、今日のうちに会社に連絡して休みをもらうわ。」

「うん、まだおふくろには話してないけど、いいだろう。3日間の夏休みにしよう。」

「はい、分かりました。」百合子はおどけて圭介に敬礼した。

「でも、お母様、大丈夫かしら?急に休むなんて言ったらビックリするんじゃない?」

「ああ、それは心配ないよ。この間も少し早めに休みを取ったらいいのに。なんて言ってたし、お盆とは言ってもお墓はいつでもいける場所にあるしね。それに夏場は意外に保険の更新もないのさ。だいたい、みんな春先に車を買うからね。」

「そっかー、じゃあ私これから帰って明日の支度をするわ。明日は何時頃出かけるの?」

「うん、8時頃、君のアパートに迎えに行くよ。江差まで高速通って行ったら4時間ちょっとで行くと思うけど、それでも着くのはお昼過ぎになってしまうからね。」

「はい、分かりました。そうと決まったら私帰ります。あ、おかあさんに挨拶しなくっちあね。お母様、私これで失礼します。」

「あ、はいはい、あらもう帰っちゃうの?もっとゆつくりしていけばいいのに。」

圭介の母雪江があわてて2階から降りてきて百合子に言った。

圭介の保険事務所は、豊平区平岸にある。札幌オリンピックのときに道路が整備されて以来、リンゴ園はすっかり姿を消して今では閑静な住宅街となっている。ここは一階が事務所、二階が住居になっている。

「あ、かあさん、明日百合子さんと江差に行って来るよ。さっき玲子から電話があってね細谷が江差に行ったきり連絡がないようなんだ。それでついつい僕が探しに行くことになったんだよ。少し早めの夏休みにしたいんだけど、いいだろう?」

「ああ、それはいいけど、細谷さんてこの間遊びに来た同級生かい?奥さんがおめでたって言ってたけど、それは心配だね。いいよ、行ってらっしゃいな。」

「それでは、お母様失礼します。」

「はいはい、気をつけて帰ってね。」

百合子は、愛車のムスタングのテール滑らせながら帰って行った。」

やれやれ。なんで今時アメ車なんかに乗るんだろうな?圭介は苦笑いしながら百合子を見送った。ムスタングを買えるんなら、BMWとかアウディの方が似合うのにという意味である。

by しょう  1999.10.18 

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