江差殺人事件

プロローグ 第1章 第2章 第3章 第4章 登場人物 Menu

プロローグ

檜山支庁管内江差町は、松前藩政時代から明治に至るまで北前船(弁財船)による大阪・堺との商取引きが盛んに行われ、「江差の五月は江戸にもない」とも言われるほど、商業・産業の町として繁栄を極めた町である。檜山は元々松前藩の財源となっていた、蝦夷檜と呼ばれる「ヒバ」(アスナロ)の林がこの地にあったからといわれている。また、江差は、「えさし」を「昆布」とする説と「岬」という説が従来行われたが、アイヌ語地名解で知られる北海道大学名誉教授故・知里博士は、北海道南部では、昆布をサシとはいわないとして昆布説を否定し、また、エサシを「エ・サ・ウシ・イ(e-sa-ush-i 頭を・浜に・つけている・者)。つまり岬」と分析して説明している。いずれにしても昔から自然の良港であるのは間違いがない。

今では人口1万3千人足らずの町だが、毎年8月9日から3日間開催される「姥神大神宮渡御祭」は、360年の歴史と伝統を誇る北海道最古の祭典である。豪華なみこしの渡御と北海道文化財の「松宝丸」「神功山」など13台の山車が昔のままの伝統を保って下町、上町を練り歩く姿は、限りなくエネルギッシュで華麗そのものである。このお祭りには実に人口の3倍もの人が集い賑やかになる。

map.gif (7112 バイト)

カモメの鳴く音にふと目をさましあれが蝦夷地の山かいな

「全国大会もすぐだな・・・」須藤はいつものように江差追分を歌った後、そうつぶやいた。

江差追分全国大会は、昭和38年に第1回大会開催以来毎年行われている。全国の支部から選抜されたおよそ350名の出場者によって江差追分日本一の座を競い合う。須藤がはじめてこの大会に参加したのは25歳のときだった。はじめの頃こそなんどか入賞を果たしたが、以来40年たつが、いまだに名人にはなれないでいる。今年こそはなんとか名人位をと毎日鴎島に向かって練習に励んでいる。「昨日は海が荒れたけど今日は凪だな」またぽつりとつぶやいて、右手の灯台の方からひととおり海を眺めた。須藤はこれから釣りに行こうと思っている。それもまた退職後の須藤の日課になっている。

「ん?」見慣れた景色だがさきほどから違和感を感じていた。なんだろう?と思いながら瓶子岩(へいしいわ)のところで視点が釘付けになった。瓶子岩は、鴎島の前浜にある海からぽっかり突きだした岩である。

鴎島は海抜20m、周囲2.6kmの小島で、上空から見ると かもめが空を飛んでいるように見えることから、 「かもめ島」と呼ばれるようになったと言われている。かつて、かもめ島は弁天島と呼ばれており、天然の良港としてニシン漁や北前船交易の舞台となっていた。

       kamome.gif (43924 バイト) 鴎島

一方、瓶子岩は、今から500年程前、津花に居を構え豊穣豊漁の神と伝えられる折居様。伝説の中で特に有名なのは瓶子岩とニシンに関するものである。ある時かもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ江差にニシンの群れが来るようになったと伝えられ、瓶子岩はその時海に投げられた小さな瓶がやがて石に化して海上に現れたものと言われいる。
 
毎年7月に江差の海開けを告げるかもめ島祭りでは、勇壮な海の男たちによってこの瓶子岩に全長30mにおよぶ〆縄が飾りつけられる。

    heishi.gif (15576 バイト) 瓶子岩

なにかが岩の上に乗っている。「布きれか?」いや、違う人だ!えっ、だけどなんで人が乗っているんだ?瓶子岩に行くには磯舟で行くしかないのに!?泳いで行ったか?

須藤は釣り用に用意していた双眼鏡を車から取り出すと、その物体を見た。

「うひゃー、人間だ....死んでるんでないべか!?」

須藤の急報で駆けつけた江差署の警官が鴎島の入り口を封鎖したのは、それからまもなくであった。

「さて、どうしたものかな?」江差署の西平警部補はそうつぶやきながら、部下に言った。「あの磯船を使うべ、鑑識2名と警官3名も行けばなんとか仏さんを収容できるだろう。」

まだ、朝の5時半である。持ち主に許可を取っている時間はない。

死体は無惨な状態だった。西平も何度か死体を拝んではいたが、この死体は瓶子岩の上で仰向けになって弓なりになっている上、首の骨が折れているのか今にもねじ切れそうだ。なにより、その死体頭頂部の皮が剥落しているのが異様だった。

「まるでカッパだな」西平は言った。
それにしても無惨である。西平はぐっと虚空を睨むようにしている仏さんの瞼を閉じてから合掌した。

「西平係長、終わりました。」鑑識員が現場写真を取り終え、そう言った。」
西平は江差警察署刑事課の刑事係長である。

「よし、おろすぞ!」

これがなかなかたいへんな作業であった。死体をおろそうとすると岩に張られた〆縄を足場にして抱きかかえなければならないのである。

「地元の人間じゃないな」浜に引き上げてから西平はそうつぶやくと、部下に指示を与えた。「とりあえず、自殺、他殺はともかく不審死には違いない。検視をしなければならないな。今川先生に連絡をとってくれ!」検視及び死体検案は地元で一番古い開業医の今川病院院長に委嘱している。

しかし司法解剖を委嘱しているのは、北海道警察本部では、札幌の札幌医科大学、北海道大学、旭川医大の法医学教室のみである。検視が終わった後は送り込むことになるであろう。

「それが終わったら仏さんの足取りを追うんだ」西平がそう怒鳴った後ふっとためいきをついた。

無理もない、船の事故で人が死ぬことはあっても、こんな死体はとんと拝んだことがなかったからである。

by しょう  1999.9.25 

Next